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めだか・イン・上尾(36)

平成15年(2003年)

駿台学園嘱託
  1月~ 2月  骨折(1月4日)のため、在宅勤務(テープ起こし)
  3月      週2日勤務。
  4月~12月  週1日勤務。

駿台アイルランド国際学校第13回卒業式(最終)
   平成15年3月23日(日) 駿台学園PMH 小ホール

卒業祝賀会 3月23日(日) 私学会館
 
卒業記念講演・ハーン交流協会記念講演会

●作家・野中恵子

●「ロマンティシスト、ラフカディオ・ハーン」
    
 ハ-ンの『英文学史』は、ロマンティシズムとクラシシズムという二つのより糸でなりたっているが、生来のロマンティシストであるハーンは、どうしても、ロマンティックな人間の肩を持ってしまう。
 ハーンは、「形式や主題を選ぶ際の完全な自由、自分の心にあることを、既成の形式や規則にとらわれることなく、詩、散文、好きな形で自由に表現すること、それがロマンティシズムである」と定義している。そして、ロマンティシズムの、ほとばしる勢いが、クラシシズムの適度な抑制を受けて「調教」されたとき、ほんとうの意味でのすばらしい文学が花ひらく、とハーンは考えていた。
 ハーンは、地球上の実にさまざまな地点に足跡を残しているが、行く先々で、その土地土地の民間伝承や諺、なぞなぞといった口伝えの、民衆の文学に興味を示している。
 ハーンはいつも「かたち」ではなく「心」だといっているが、ハーンという人は、ほんとうにやさしい、何よりも「心」を大切に、「心」でこの世界を見、この人生を生きてきた人だったと思う。
 少年時代は、恵まれた境遇であったが、19歳でアメリカに渡ってから、彼がなめた辛酸の数々は、文字どおり、「筆舌に尽し難い」ものであった。
 ハーンを読んでいつでも感じることは、何という努力家なのだろうということである。
 ハーンは、いつも「かたち」より「心」を強調して、社交詩よりも素朴な民謡に親近感を感じ、各地の民話や諺一口承文学に興味を示した。
 ハーンのー生は大変な努力の連続だった。物事を既成の価値基準で見るのではなく、まったく自分だけの感覚にもとづいて見る、というロマンティシストの姿勢を、生涯変ることなく貫いた。
 ハーンの一生一逆境にも、貧乏にも負けず、ただひたすら、文学という希望の灯にむかって歩みつづけたその生涯を考えると、人間は希望さえ失わなければ、努力さえすれば、なんでもできないことはない、という気がしてきて勇気づけられる。

上尾市で花見
 平成15年4月

 1日は上尾市内のサクラを見て歩いた。4日には、石戸蒲ザクラを見に行った。これは北本市にある樹齢800年以上のカバザクラの古木で国の天然記念物になっている。鎌倉時代の武将である源範頼が石戸宿に逃げ、隠れて生き延びたという伝説があり、桜のそばには、源範頼のものとされる墓所がある。

   0304 丸山公園サクラ
     丸山公園

   0304 十連寺サクラ
     十連寺

   0304 上尾整形サクラ
    上尾整形外科隣

   0304 谷津観音サクラ
    谷津観音

   0304 北本駅サクラ
    北本駅付近

   0304 石戸蒲桜
    北本市・石戸蒲ザクラ
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めだか・イン・上尾(35)

四国と瀬戸内の陶芸、陶芸の街を訪ねる
 11月2日(土)~4日(月) 朝日旅行のツアーに参加した。

 2日(土)、東京駅から、新幹線を利用して福山駅に。福山駅からバスで因島大橋多々羅大橋を渡って、大三島に。
 大山祇(おおやまづみ)神社は山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた。源氏・平氏をはじめ多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。国宝や重要文化財を収納している紫陽殿と国宝館を見学した。
 しまなみ海道を通って、今治から松山へ。松山全日空ホテル泊。

  0211 大山祇神社
    大山祇神社

     0211 大山祇神社 国宝
 源義経が奉納した「赤糸威鎧大袖付」(平安時代の作)

 3日(日)、砥部焼伝統産業会館見学。砥部焼観光センター、砥部燒陶芸館にも寄った。
 砥部焼は、愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器で、食器や花器が多い。後背の山地から良質の陶石が産出されることから発展してきた。やや厚手の白磁に、薄い藍色の手書きの図案が特徴。独特の風合いが愛好家に評価されている。
瀬戸大橋を渡って岡山へ。岡山国際ホテル泊。

 4日(月)、日本最古の庶民学校といわれる閑谷(しずたに)学校見学。江戸時代前期に、岡山藩によって開かれ、8歳頃から20歳頃までの子弟が儒教―孔子の教えを学んだ。この講堂は、国宝に指定されているが、その屋根瓦は、備前焼である。
 備前陶芸美術館、伝統産業会館を見学。
 備前焼は陶土で形をつくり、絵付けもせず、釉薬(うわぐすり)も使わずに焼いたもので、ツボや花入れなどがつくられている。好ましい茶器もあるが、酒飲みは、徳利や猪口に目が行ってしまう。備前焼は、備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」ともいわれている。

   0211 備前焼き酒器
     備前焼酒器

音楽劇鑑賞
 カミさんの親戚・遠藤さんの招待で、3日連続出かけている。内容については、記憶にない。
 
 12月3日(火)、古賀政男音楽博物館。「文学と音楽の声ラボレーション」

 4日(水)、駒場エミナース。フォーク・オペラ「うたよみざる」
川村三夫作、三木稔作曲。オペラシアター歌座公演。

 5日(木)、東京芸術劇場。「底抜けに愉快なブラス5人組」

 フォーク・オペラ「うたよみざる」について、次のような記事がある。

 「1990年には、東京における《うたよみざる》公演が次の受賞理由により文化庁芸術祭賞を受賞。「民話に取材した川村光夫の台本と、民族楽器や方言の特性を生かした三木稔の作曲による独創的な作品で、歌唱・演技とも熟達した統一感のあるアンサンブルによってみごとな舞台成果を生んだ。日本の音楽劇の新しい可能性を示したものといえる。」
 作曲者・三木稔先生は、駿台アイルランド国際学校の校歌を作曲した先生であるが、現代音楽嫌い、オペラ嫌いの私にとって、この「うたよみざる」も好きになれる作品ではなかった。

NHK文化センター

 12月14日(土)、さいたま新都心にあるNHK文化センターに、英会話教室と社交ダンス教室の受講を申し込んだ。アイルランドに住んでいた時代、痛切に必要を感じていたものである。平成15年1月から受講するつもりで、教科書やダンスシューズを買い込んだ。ところが新年になって初出勤する日、前日に降った雪が凍っていたため、乗っていた自転車が横転して足指骨折。ダンスどころではない。英会話教室も断念した。

めだか・イン・上尾(34)

大学農学科29会、高崎・伊香保温泉旅行
 8月28日(水)、日帰り。「青春18切符」利用。
 
 参加者は、写真に写っている3名のほか、写真を撮影してくれたゴルフ場経営者・菊地君がいる。
    0208 農29
     農学科29会

下田章二先生逝去

 平成14年9月16日(月)、帝京病院で亡くなられた。享年75歳。18日(水)、源正寺で行われた葬儀に参列した。
 下田先生は、お名前のとおり、昭和2年生れ。東京農工大学農学部の前身・東京農林専門学校卒業。新潟県の醤油醸造会社に勤務されていたが昭和37年、駿台学園高等学校教諭に就任、化学の授業を受け持たれた。独自の教え方で、生徒から人気があった。クラブ活動では、その多様な才能からブラスバンド部、サッカー部、ジョギング部などの顧問をつとめられた。
 学校にコンピューター委員会ができ、下田先生も委員を務められた。私が初代の委員長であったが、委員会を開いたことはない。昭和39年、5階建ての校舎が完成して、屋上に天文台、5階にコンピューター室ができたが、このコンピューターは、教職員の給与計算、天体望遠鏡のためのもので、専任の職員がついていた。その後にできたコンピューター委員会は、生徒・教職員が使用するコンピューターの導入が仕事であった。下田先生は、教員が使うコンピューターのプログラムを開発してくれた。先生が作られたプログラムのおかげで、生徒の成績処理がコンピューターを使って行われるようになり、特に入学試験の成績処理では、威力を発揮した。
 下田先生は、その異才によって、大きな成果をあげられたが、一方で学校の給料をあてにしない収入源をもっておられた。それは株の売買による利益である。バブルの崩壊によってその資産価値は、5分の1ぐらいに落ち込んでしまわれたが、その前には、億単位の資産を抱えておられた。そんな大金持ちなのに使うことにかけては始末やさんである。靴下とか日用品は、バッタ屋で買われる。バッタ屋というのは、バッタ、バッタと叩き売る安売り屋である。私がアイルランドから高島平に帰った後、同じ高島平に住んでおられた下田先生から、美術館等の招待券があるからと、いっしょにでかけた。その招待券は、新聞販売店から分けてもらったものである。そのあとの食事場所は、公園やデパートの屋上のベンチ。自動販売機で買ったビールを飲みながら、スーパーで買った弁当を食べる。「そんなにお金を貯めてどうするのですか」とお聞きしても、余計なことには、お金を使わないという主義であるらしかった。貯めたお金は、先生の道楽に使われることなく、奥さん子どもに引き継がれた。

  0209 下田先生
   平成8年、下田先生(右)と張世明氏(中央)
 
萩のトンネルと懐石料理
 9月23日(月)、日帰りバス旅行に夫婦で参加。向島百花園を訪ねるのは、初めてのことである。ハギは、野放図に伸びて始末に困るものだが、トンネルとは、うまく考えたと感心した。
 大宮発―六義園―つきじ田村(懐石料理)―浜離宮―向島百花園―大宮着

  0209 ハギトンネル
    萩のトンネル

めだか・イン・上尾(33)

SIIS卒業生・金昌順さん結婚披露宴
 7月7日(日)、ホテルニューオータニ

 招待されて、夫婦で参加した。子ども(匠吾君)連れの結婚披露宴は、初めての経験である。駿台アイルランド国際学校卒業の同期生も参加していて華やかな会であった。披露宴当日の写真がないので、成人式の時の写真を紹介する。

    0207 金昌順
    成人式の金昌順さん(1993年)

開成・昭和25年卒業同期会
 7月10日(水) 開成高食堂 参加者:38名
  0207 開成同期会
    開成・昭和25年卒業同期会

農工大植物病理同窓会
 7月23日(火) 青山・六本木

 はるばる岡山から、歌人・石川不二子さんも参加した。皆、若くて元気だ。このころ嘉瀬さんが出版する予定の原稿を校正している。

  0207 植病同窓会
     植物病理同窓会

オペラ「耳なし芳一」鑑賞
 8月10日(土) 東京文化会館

 オペラ「耳なし芳一」の原作は、ラフカディオ・ハーン、作曲は渡辺晋一郎、演出は、杉理一先輩で、中鉢聡が芳一を演じた。芳一の琵琶の演奏は薩摩琵琶奏者の半田淳子。この日が、ニュー・オペラ・プロダクションによる第60回に当たる公演とは、驚きである。終演後、杉先輩とお会いした。姉上の杉葉子さんも見えていた。山田太一、古川大使の姿も見かけた。

  0208 耳なし芳一
    「耳なし芳一」カーテンコール
      Opera "no ear Hoichi"

四国・夫婦旅行
 8月14日~16日

 14日(水)、羽田空港発―高知空港着
 桂浜―四万十川川下り―足摺岬―あしずり温泉郷泊
 桂浜公園には坂本龍馬の銅像が立っていた。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、魅力的な竜馬の活躍を楽しんだが、NHKの大河ドラマでも、2回、取り上げられている。1968年放送の「竜馬がゆく」では北大路欣也が、2010年放送の「龍馬伝」では、福山雅治が龍馬を演じている。
   0208 四国・龍馬像
    桂浜公園・龍馬像

 足摺岬展望台には、中濵萬次郎の像が立っていた。中濵萬次郎は、ジョン万次郎ともいう。14歳のとき、漁に出て嵐に遭い、鳥島に流されたが、アメリカの捕鯨船に救助され、アメリカで教育を受けた。日本に帰国したのは、黒船来航の2年前だったこともあり、おとがめなく、外国事情の講話やアメリカ航海術書、公文書の翻訳、英語教授等で、開国期の日本に貢献した。開成学校の教授も務めている。

   0208 中濱萬次郎
     中濵萬次郎像
   0208 足摺岬
     足摺岬

 15日(木)
 竜串海域公園―御蔵島―宇和島―道後温泉
 16日(金)
 子規堂―金比羅宮―鳴門―徳島空港―羽田空港

  0208 大鳴門橋観光記念
    大鳴門橋観光記念写真

 旅行中、カミさんは、ひざの痛みや腹痛に悩まされ、足摺岬や金刀比羅宮などには行っていない。

めだか・イン・上尾(32)

三春の滝桜見物

 4月10日(水)、福島県三春町にある滝桜を見に行った。樹齢1,000年を超えるベニシダレザクラで国の天然記念物になっている。ちょうどサクラは満開で、みごとだった。
 江戸時代に京の都の人々が、「滝桜」を詠んだ歌が残っている。

 「春毎に落ちて匂へる滝桜 をとなきものの音にこそ聞け」

  三春サクラ
     三春の滝桜

あしかがフラワーパーク見学
 5月3日(金)、足利市にあるフラワーパークを見学した。フジの花が満開で見事だった。
 帰途、栗田美術館に寄った。伊万里焼、鍋島焼など、陶磁器の名品が陳列してある。

  あしかがフジ
     フジの花房

瀬尾秀彰先生古希の祝い
 5月12日(日) 上野精養軒

 駿台高・昭和37年卒業同期生が、卒業40周年記念と瀬尾先生の古希を祝同期会を開いた。

  瀬尾先生古希
    瀬尾秀彰先生古希の祝い

葵祭と京の花めぐり夫婦旅行
 5月14日~15日 JTBのツアーに参加・

 14日(火)、妙満寺(カキツバタ、スイレン)
 曼殊院の新緑、大田神社(カキツバタ)

  スイレン
    妙満寺のスイレン

 15日(水)、二条城と京都御所を見学した後、10時から葵祭見物。王朝の絵巻さながらの雅な行列だった。

  葵祭
     葵祭 The AOI Festival
    (Hollyhock flower Festival) Parade


 午後は伏見にいき、寺田屋、月桂冠大倉記念館に寄った。

 寺田屋は、江戸時代から続く旅館であるが、幕末に起きた事件で名高い。
 一つは、1862年5月に薩摩藩の尊皇派が藩主の父で事実上の指導者・島津久光によって鎮撫された事件で「寺田屋騒動」とも言う。藩兵千名を率い上洛した久光は日本中の尊王派の希望をその身に背負っていた。しかし久光にはこの当時は倒幕の意志はなく、公武合体がその路線であり、尊皇派を次々に粛正した。
 第二の事件は、1866年、京での薩長同盟の会談を斡旋した直後に薩摩人として宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件。龍馬は、危うく難を逃れ、薩摩藩邸にかくまわれた。幕末を扱った映画やテレビでは、新選組が襲撃したことになっているが、実際はそうでなかったらしい。

  寺田屋
     寺田屋

5月大歌舞伎見物
 5月21日(火)、4代目尾上松緑襲名披露。

 「義経千本桜」、狐の辰之助改め松緑が初々しくてみごとだった。

グラハムさん来日
 5月30日(水)、成田着。空港に迎えに行ったが、翌日予定されていた歓迎会は取りやめになった。校内での金銭トラブルがあって、退職されたという話を後で聞いた。事務長だったグラハムさんには、在職中、さんざんお世話になったのに残念である。
プロフィール

五十嵐 貞雄

Author:五十嵐 貞雄
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 われは ゆめぢを
  こえてけり
 わがよのさかに
  ふりかへり
 いくやまかはを
  ながむれば
   (藤村の後輩)

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