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めだかの学校・イン・アイルランド(76) 

無限循環する文様

 ローマとゲルマンに追われ西に流れ着いた「島のケルト」は大陸時代の遺産をキリスト教文化の中に復活させるが、アイルランドやスコットランド、ノーサンブリア(北英)を中心とする修道院で制作された聖書の装飾写本には、そうしたケルトのまっとうな自然主義に抗する造形表現の特徴が明瞭に打ち出されている。
 それは地中海や北イタリアの修道院で制作された写本と異なり、キリストやマリアや聖人といった人像や風景は描かれず、大陸時代のケルトの金工品を飾った<文様>で埋め尽くされている。ダブリン大学トリニティー・カレッジ図書館の『ダロウの書』(680年ごろ)や『ヶルズの書』(800年ごろ)の装飾頁を見るなろば、だれしもこれがキリスト教聖書の1ページであることを疑うだろう。無限循環する<渦巻文様>始めも終わりもなくからまり合う<組紐文様>、妖しくメタモルフォーシスを繰り返す<動物文様>。これらの幻想的形象がページの空間を無気味にうごめいているのである。

   「ケルズの書」より
  『ヶルズの書』より The Book of Kells

 ケルト写本に描かれた文様群は、キリスト教という新しい宗教にささげられた美術には違いない。写本制作に打ち込んだ写字生や装飾師としての修道土たちは、その行為を祈りの証としていた。しかし、聖書写本の中にケルト文様の螺旋的、曲線的な形象は、彼らケルトの末裔が異教時代から引き継いだ民族の想像力を表出しているように見える。その文様いずれにも共通する変幻自在性、無限の増殖性は、異教ケルトの見た神秘的自然観の痕跡を垣間見させてくれる。
 古代ケルト社会の宗教をつかさどったドルイドは霊魂不滅の死生観を説き、言霊の力を教えたが、可視的世界の背後にある神秘の存在にひかれるケルトの想像力は、古代・中世を超えて脈々と受け継がれてきた。
 スウィフトの奇想、ワイルドの諧謔、ジョイスの言語遊戯。現代アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーは「発掘」という有名な詩に、失われたケルトの黄金時代を再生させようとするケルト末裔の心を詠み、画家ルイ・ル・ブロッキーは、同国の先人芸術家たちの頭部を霊の出現として描き続けている。「別のものを求めずにはいられない業」(ヒ一二―)、「鎮めがたき遍歴の魂」(ブロッキー)、民族の長い黄昏を生きてきたケルトの想像力を支えるのは、限りない再生を夢みる力である。
 (「夕刊讀賣新聞」<1991年4月16日>より転載)

 鶴岡真弓先生には、1994年3月24日、SIISの第4回卒業証書授与式の後に行われた講演会で、「ラフカディオ・ハーンを育んだ『ケルト』の幻想芸術」と題して、お話をいただいた。
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五十嵐 様

ブログの記事にコメントありがとうございました。指摘していただいた事全く知りませんでした。一つ賢くなりました。色々書いていますが知らない事が多く恥ずかしいです、おかしい所があればまた教えてください。 五十嵐先生のブログは「古い日記のページ」という題名通り半世紀も昔の話からごく最近の話まで時代もいろいろ話題も幅広く読んでいて興味深いです。記事の数も多く全部読むのには時間がかかりそうですがこれからもゆっくり時間をかけて読ませていただきます。

ありがとうございました。私のブログにもまた遊びに来てコメントをください。これからもよろしくお願いいたします。
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